自分の「こころ」の分析は苦しみを続けさせる

「こころ」を分析できると考えたのは誰なのか、
他の機械類と同じように分析して細かく分ける方法は当然のように使われて、
毎日どんどん文章を生み出している。

言葉の組み合わせで、それらしい文がいくらでも生み出せるから、
毎日「こころ」は複雑さを増していく。

それでも何の解決にもならないことは誰でも知っている。
そのことがとても不思議。

そもそも「こころ」は物理現象なのか?

1週間ほど前に「不死」に挑戦する
富豪と科学者達のドキュメンタリー番組を見た。

ニューロンの接続の仕方をすべて記録すれば
「こころ」というか人格が再現出来ると考えている学者と、
刻一刻と変化し続けているものの、一瞬の構造を記録しても
意味がないというような事を話していた。

その、変化することこそ「思考」である可能性もあると思う。
分析などしている端から脳の構造が変化し続けているのだから、
細かく分けてどうするのか。

「こころ」のトラブルは単純だ。

「なぜか気分が悪くなる」症状に過ぎない。

気分が良くなれば万事解決なのに原因を探る必要などないんじゃないかな。
そう感じる今日この頃でした。

いえ、Qメソッドが出来てからはずっとそういうふうにしか思っていません。
それでなんの不都合もないんですよ。